私が仏画を描くきっかけとなったのは、昭和61年2月、ふとしたことから
長野県志賀高原に立ち寄ったとき 「弥勒山大悲殿」 というお寺で 「世界平和聖観
世音菩薩御影」 という色紙絵との出逢いでした。
40才で脱サラして四国小豆島能力開発セミナーを受講中に起きたある連想か
ら弘法大師空海との出逢いがあって仏門の世界に入ることになりました。
私が弟子入りしたお寺では教本が無く、ただ口伝えに教えられるのを覚える毎
日でした。そこで、私はだれもが読唱できるように文章化してみようと思いたっ
て経文を書き上げました。そして、その表紙になにか仏様の絵でも・・・と思い
ついたのが 「世界平和聖観世音菩薩御影」 でした。そして、それを模写して一冊
の本にまとめることができました。
![](mori_namu.jpg)
その数ヶ月後、新聞で大阪市北区梅田太融寺で写仏を教えているという記事をみて、
松尾光明師に習い始めました。このことは、私にとってはじめての世界で月に一枚仏
様を描かせて頂き、心のやすらぎ、楽しさを感じられるようになり、この心の世
界(情能教育の道・心の発達とでもいう)を静かに歩み始めることになりました。
ある日のこと、松尾師より両界曼荼羅の下絵を見せて頂き 「これぞ、私が求
めていた究極の仏画」 と感じ、すべての仕事を捨て、その制作にとりかかりまし
た。これといった仏教・仏像知識もないまま、斎戒沐浴して只々祈り描く日々で
した。1875の仏様が出来上がったのは半年後でした。その間に筆を持たなか
ったのは、お盆に帰省したたった一日だけでした。仏画を描き始めて2年目にし
て両界マンダラ絵完成、不思議なる仏力に感動をおぼえました。
その後、平成2年「父、倒れる」の報に接し、父の存命中に仏画の個展を開こう
と心に誓い、仏画の制作に専念しました。その結果、翌翌年、初の個展を父にプ
レゼントすることができました。
多くの方々のご援助・ご協力のもとに、小さい時からの夢であった絵の世界に
今生かされている私は心のやすらぎを得ることができて大変し合わせてです。
今はなき友人・知人の供養の為にも、また私の絵を通じて心のやすらぎを感じ
られたり、時にはフィードバック(軌道修正)などができ得ればと念じつつ祈り
の日々をおくらせて頂いています。
昭和60年夏に出会った弘法大師空海の 「世の中の為に役立て」の言葉がはっきり
脳裏に刻み込まれて私の心の指針となって導かれています。
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